螢の文《ふみ》
[1] 水無月《みなづき》のつごもり【注1】、風いと涼しく、闇もなほ深き夜、兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》は、対《たい》の屋《や》に渡りたまひて、中君《なかのきみ》と物語りしたまふ。庭の御溝水《みかはみづ》より、螢の多く飛び交ふを御覧じて、宮、「あはれ、かの『もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂《たま》かとぞ見る』【注2】の古歌、まことにこそ。①我が魂も、かくや姫君のもとへ通ふらむ。」と、うち笑みてのたまふ。
[2] 中君、顔を赤らめつつ、「など、かやうの御冗談《みじようだん》を。」と伏し目になりたまへば、宮、いとどしう面白がりて、「さて、この螢どもを捕らへて、光にて文を書かば、いとをかしき返り事も得られなむ。」とて、童《わらわ》どもを召し集め、薄絹《うすぎぬ》の袋に螢を数十《すそじ》ばかり捕らへさせたまふ。(ア)その光、闇のなかに満ち満ちて、昼の心地すなり。
[3] 宮は、みづから筆をとりて、「②光なくは闇に惑はむ」とばかり書きて、その袋の口を固く結び、「これを、かの北の方《かた》へ参らせよ。ただし、疾《と》く疾く。光の消えぬ先に。」と、最も信ずる小舎人童《ことねりわらわ》に授けたまひけり。童、闇夜を走りて、姫君の御方《おんかた》へ参る。
[4] 姫君、この思ひがけぬ贈物を開けて、袋の内より螢の光がぱッと洩れ出づるに、③驚きたまふも理なり。文を読ませたまひて、その御心ばへのいと深きに感じて、返り事を書かせたまふにも、「何と書かむ」と、しばし案じ煩《わづら》ひたまひける、とぞ。
【注1】水無月のつごもり:陰暦六月の末ごろ。夏の終わり。 【注2】もの思へば…:『後撰和歌集』にある和泉式部の歌。恋の物思いで魂が我が身からさまよい出て、沢の螢になったかと見える、の意。 【注3】北の方:正妻を指すが、ここでは宮が思いを寄せる姫君のこと。
【補助資料:出来事の順序】
傍線部①「我が魂も、かくや姫君のもとへ通ふらむ」とあるが、ここでの兵部卿宮の心情の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
傍線部(ア)「その光、闇のなかに満ち満ちて、昼の心地すなり」の表現に関する説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
傍線部②「光なくは闇に惑はむ」の「む」の文法的意味として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
本文中の出来事(ア)~(エ)を、実際に起こった順に並べたものとして最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
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螢の文《ふみ》
[1] 水無月《みなづき》のつごもり【注1】、風いと涼しく、闇もなほ深き夜、兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》は、対《たい》の屋《や》に渡りたまひて、中君《なかのきみ》と物語りしたまふ。庭の御溝水《みかはみづ》より、螢の多く飛び交ふを御覧じて、宮、「あはれ、かの『もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂《たま》かとぞ見る』【注2】の古歌、まことにこそ。①我が魂も、かくや姫君のもとへ通ふらむ。」と、うち笑みてのたまふ。
[2] 中君、顔を赤らめつつ、「など、かやうの御冗談《みじようだん》を。」と伏し目になりたまへば、宮、いとどしう面白がりて、「さて、この螢どもを捕らへて、光にて文を書かば、いとをかしき返り事も得られなむ。」とて、童《わらわ》どもを召し集め、薄絹《うすぎぬ》の袋に螢を数十《すそじ》ばかり捕らへさせたまふ。(ア)その光、闇のなかに満ち満ちて、昼の心地すなり。
[3] 宮は、みづから筆をとりて、「②光なくは闇に惑はむ」とばかり書きて、その袋の口を固く結び、「これを、かの北の方《かた》へ参らせよ。ただし、疾《と》く疾く。光の消えぬ先に。」と、最も信ずる小舎人童《ことねりわらわ》に授けたまひけり。童、闇夜を走りて、姫君の御方《おんかた》へ参る。
[4] 姫君、この思ひがけぬ贈物を開けて、袋の内より螢の光がぱッと洩れ出づるに、③驚きたまふも理なり。文を読ませたまひて、その御心ばへのいと深きに感じて、返り事を書かせたまふにも、「何と書かむ」と、しばし案じ煩《わづら》ひたまひける、とぞ。
【注1】水無月のつごもり:陰暦六月の末ごろ。夏の終わり。 【注2】もの思へば…:『後撰和歌集』にある和泉式部の歌。恋の物思いで魂が我が身からさまよい出て、沢の螢になったかと見える、の意。 【注3】北の方:正妻を指すが、ここでは宮が思いを寄せる姫君のこと。
【補助資料:出来事の順序】
傍線部①「我が魂も、かくや姫君のもとへ通ふらむ」とあるが、ここでの兵部卿宮の心情の説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
傍線部(ア)「その光、闇のなかに満ち満ちて、昼の心地すなり」の表現に関する説明として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
傍線部②「光なくは闇に惑はむ」の「む」の文法的意味として最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
本文中の出来事(ア)~(エ)を、実際に起こった順に並べたものとして最も適当なものを、次の中から一つ選べ。
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